(元)うつ病患者の独り言 for はてなブログ

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従兄の死から1年

去年の3月、従兄(父の兄の息子)が亡くなりました。
突然死でした。
「気分が悪い」と自分の部屋に戻って、そのまま二度と起きてこなかったそうです。
 
じつは僕は、亡くなった従兄と話をした記憶がありません。
従兄は、僕に輪をかけて「真面目でおとなしくて口数が少ない」性格でした。
子供の頃から、従兄の家に行ってもたまに顔を見るだけ。
 
亡くなった後、叔母(従兄の母親)から、「最近パソコンを使うようになって、パソコン教室へ通ったりしていたが、思うように使いこなせなくて悩んでいた」という話を聞きました。
そのストレスが突然死につながったかもしれないと想うと、「なんで一言相談してくれなかったのか...」と悔やまれてなりません。
 
今日の一周忌の法要で、法要を行った寺の住職が「説教」をしてくれました。
「『観音様』の本当の名前は『観世音菩薩』。『世』の中を見て、助けを求める人の声なき声『音』を『観』て、救いの手をさしのべる」
「皆も、親兄弟や友人など、誰かの『音』を『観』て、救いの手をさしのべる存在になりなさい」
住職は「二宮尊徳」や芥川龍之介の小説「手紙」を引用して、分かりやすく「亡くなった人に対する悲しみ」と「悲しみを受け入れ、そして乗り越えること」の大切さを説きました。
 
僕は「神」を信じても「宗教」を信じません。
でも今日の「説教」は大変有意義なもので、こんな「説教」の出来る住職は、宗教を超えて立派な人だと想いました。