上の記事にも関連する内容です。前々から想っていたことを書き連ねてみます。
・注:特定の個人向けではありません。自分も含めた不特定多数向けの「戒め」として書きます。
Twitterで先日、こんなものがあることを知りました。
- 黒歴史クリーナー(http://kurorekishi.yabasoft.biz/)
- 呪わしい過去のツイートを一括削除……「黒歴史クリーナー」
(ITmedia ニュース:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1207/17/news099.html)
実際に使っている人も見ました。
また、Twitterに限らずmixiやBlogでも、過去記事を書いた側から消去したり、それに飽き足らずアカウントを抹消したりする人も...
公序良俗に反して炎上しかねない記事をうっかり書いてしまったり、後から見直してあまりにも自分のアイデンティティーに反する恥ずかしい記事を書いてしまったりして、どうしても記事を消去したい、しなければならないことは、あっても当然だと想います。
しかし、書いた側から消して回ったり、頻繁にアカウントを抹消しては作り直したりしている人を見かけると、遺憾だと想わざるを得ません。
でも、つまらない記事を書くなと言うことではありません。
BlogにしろSNSにしろTwitterにしろ、Web上に自分が書いた文章を掲載するのは、自分のアイデンティティー、言い換えれば「自分が存在した証」です。
Webに文章を書き連ねることで、自分自身のアイデンティティーや経験が積み重ねられて、書いた人の「年輪」「地層」になり、書いた人の存在感や重みが増していく...
ライターとか文筆家では無くても、何らかの文章を書き続けてきた人なら、この「書き続けた重み」というのは何となく分かるのではないでしょうか?
翻って、自分の文章やアカウントを安易に消す人は、自分のアイデンティティーを自分で消して回ってる人と解釈出来ます。
そういう人は、自分自身のアイデンティティーや経験が何一つ残らない、薄っぺらい人になっていませんか?以前失敗したことを経験に生かせず、同じ失敗を何度も繰り返していませんか?
2004年から8年書き続けている僕のBlog。
後から読み直そうと想える良文章は、数えるほどしか有りません。むしろ読み直したくない文章の方が大多数...
でも、そんなつまらない、恥ずかしい文章を書き連ねて積み上げてきたから、「今の僕がここに居る」ことは、自信を持って言えます。
あなたは、今の自分に、今まで書いてきた文章に、1つだけでもいいので「これには自信がある」というものがありますか?それは目に見える形でまだ存在していますか?
無い人、消してしまった人は、これから作りましょう。上記記事「スティーブン・キングに学ぶ人を惹き付ける文章を書くための13ヶ条」にもあります。
他人が、あなたの作品を、傑作だとか駄作だとか言っても気にする必要はない。私(スティーブン・キング)は、1の傑作と、99の駄作を書いてきた。
(訂正追記するかもしれません)