・21:15追記:時間の経過につれて、被害状況が明らかになってきました。改めて情報収集してみます。
- 静岡地震、負傷者110人超す 東名復旧は13日午前
(静岡新聞:http://www.shizushin.com/news/social/national/2009081101000832)
静岡県で震度6弱を記録した地震による負傷者は11日、静岡など1都3県や警察庁の集計で112人となった。静岡では重傷者3人を含む103人。愛知で4人、神奈川で4人、東京で1人の負傷が確認された。
総務省消防庁の集計で、全半壊した家屋はなかったが、一部破損は3340棟に上った。
JR東海によると、東海道新幹線は11日午後もダイヤが乱れた。午前と合わせ上下線計62本が運休、233本に最大約4時間50分の遅れが出て約24万人に影響が出た。
中日本高速道路は、路肩が崩落した静岡県牧之原市の東名高速道路の通行止めを、13日午前にも解除する見通しを示した。
(抜粋)
- 本に埋もれた状態で発見 静岡で死亡確認された女性
(静岡新聞:http://www.shizushin.com/news/social/shizuoka/20090811161151.htm)
県警によると、11日、死亡が確認された女性は、静岡市駿河区の会社員(43)で、マンションの部屋で大量の本に埋もれた状態で見つかった。県警が死亡日時や死因を調べている。
・この地震で死者が確認されました。不謹慎ですが「どんなジャンルの本」か気になる。
- 地震速報は「機能発揮」 情報伝達に課題も
(静岡新聞:http://www.shizushin.com/news/social/national/2009081101000941.htm)
気象庁によると、速報発表は地震の初期微動(P波)検知から3・8秒後。震源は海域だったが陸に近く、周囲に観測点が多かったこともあり迅速だった。震度6弱の焼津市や5強の静岡市駿河区は震源に近く速報は間に合わなかったが、6弱だった伊豆市では強い揺れの到達まで約4秒、御前崎市は約2秒の余裕があったとみられる。
最大震度4だった東京は約30秒の猶予時間。インターネットを使って気象情報会社から緊急地震速報を入手し、転倒の危険性が高いたんすなどのない廊下に避難した人もいたという。
・早朝だったので「テレビやラジオがかかってないと緊急地震速報が伝わらない」という課題が改めて浮き彫りになりました。
- ひずみ変化精査へ 気象庁初の観測情報
(静岡新聞:http://www.shizushin.com/news/feature/jishin/news/20090811000000000061.htm)
気象庁は早朝の地震発生を受け、2004年1月の施行以来初めてとなる東海地震観測情報を発表したが、東海地震との関連性がないと判断し、発表を終了した。同情報は観測された現象が東海地震の前兆現象であると直ちに判断できない場合や、前兆現象とは関係がないと分かった場合に発表される。気象庁によると、静岡県内で震度6弱以上の揺れを記録したのは、1944年の東南海地震以来。
11日早朝の地震を受けて開かれた地震防災対策強化地域判定会では、6人の委員が地震を評価し、東海地震との関連性を判断した。会の臨時開催は1979年の会設置以来初めてで、阿部勝征会長は「東海地震説の提唱から30数年、初めての本番を迎え、強い印象を持った」と緊張した面持ちで振り返った。
・「東海地震が近いうちに必ず起こる」と叫ばれて30年あまり。実は静岡県内での「震度6弱以上」地震は65年ぶりだった...とは、静岡県民の僕も知らなかった。
・想定されていたものではなかったけど、「本番」の地震を体験できたのは、ある意味有意義だったかも。
(Yahoo!ニュース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090811-00000105-mai-soci)
牧之原市は987棟が一部損壊し、県内では最も住宅被害が多かった。しかし、同市静波の会社員、小林正晴さん(53)は言った。「東海地震はもっと大きいと言うが、今回の被害がこれぐらいだと考えると少し安心しました」
小林さんは10年前に自宅の改築に合わせて筋交いなどの補強を施した。東海地震を想定した備えだった。今回の地震でも、仏壇の供え物が落ちた程度だったという。
一方、近くの無職、八木隆太郎さん(82)は「タンスを金具で固定していたが、家の中はぐちゃぐちゃになった」と語った。同市で1人暮らしの男性(69)も「タンスもゲタ箱もひっくり返った。一番困るのは屋根の水漏れ」とこぼした。
・やはり「備えあれば憂いなし」、しっかり耐震補強をやった僕の家は「勝ち組」(不謹慎な言い方だけど)。
- Webコラム一灯 地震と対峙する
(静岡新聞:http://www.shizuokaonline.com/column_itto/20090811163549.htm)
∋ 直後に携帯電話はつながりにくくなりました。幸い停電はしていません。テレビも倒れずに済みました。次の行動を起こす指針は、「情報」です。連絡網を、と焦りつつ、こんな日のために訓練を重ねてきたのだと思い直しました。ともあれ、東名高速道路のインターチェンジに向かいます。電光表示板に「×」、通行止めです。一般道に回ります。職場に到着し、デスク陣の作業などを見守ります。慌しい一日が始まりました。
∋ 速報の携帯メールが送信され、電子号外がサイトに掲載され、緊急ページも公開されました。体験してみて初めて分かる手順。即応する機動性、柔軟性が求められます。そして、それで果たして十分なのか。東海地震に結びつくものではないとはいえ、心構えに勝る準備はありません。阿部勝征判定会長は言います。「自然に対して謙虚であらねば」。胸に刻んでおきたい言葉です。
(抜粋)
・静岡新聞の記者の、慌ただしい1日を振り返るコラム。
・僕自身は使わなかったので気づきませんでしたが、固定電話携帯電話とも地震発生直後しばらく繋がりにくくなったようです。一時停電したところもあったようですが、電気とインターネットと水道が止まらなかったのは、僕と僕の家にとっては今回幸運でした。
・さあ、次の本番「本来想定されている東海地震」は、今日の地震の100倍の威力。次は電気やネットが切れる事態も想定しなくては...